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REPORT_04 価値の転換 suzusan 村瀬弘行

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僕の生まれた町の有松は名古屋市の市境にあり、江戸時代初期1608年の開村直後から東海道を歩く旅人に一枚の手ぬぐいを絞り染めて売り出したことが産地の始まりだと言われており、すでに400年以上の歴史を持っています。その後この小さな場所で浴衣や着物など日本の生活文化に密接した染め物が作り続けられてきました。 江戸時代の250年の間に幕府からの専売制があったことも相まって産業として華々しく発展をとげ、有松の地域で200種類以上の技法が生まれ、各家庭ごとに独自の技術が代々受け継がれてきました。このような染色技法はインドやアフリカ、南アメリカやオセアニアなど世界中のさまざまな地域で見受けられるものの通常一地域に多くて2、3種類と言われている中でこの有松での発展は学術的に見ても非常に稀有な存在だと言えます。 手、指、糸、針というプリミティブな道具を使い様々な模様が作られ、これは400年以上の時を経た今でも技法が作られた当時とほとんど変わることなく現代に引き継がれています。 僕の家は「鈴三商店」という屋号で絞りの工程の中で一番最初に来る「型彫り、絵刷り」と呼ばれる仕事を代々生業としてきました。型紙に模様を描き、それをなぞりポンチで小さな穴を開ける。その後真っ白な反物に刷毛で模様を刷り、次の職人さんへ絞りの技法の指示を出す、という仕事です。 小さい頃には父と一緒によく職人さん周りをして、父が仕事の話をしている隣で僕は職人のおばあちゃんたちからお菓子をもらえるのを楽しみにしていたものです。 有松地域に最盛期には1万人以上いた職人は僕が大人になる頃には200人以下に減っていました。父もその頃には50代になっていたが産地では最年少の職人で、その後の世代はほとんどいなかったように聞いています。 実際に僕自身も絞りに興味は全くなかったですし、斜陽産業の未来がない伝統に父もこれでは食っていけないと感じていたことで別段継げとも言わず、僕は僕でアーティストを目指していて20歳の時に日本を出てイギリスとドイツで美術を学んでいました。 デュッセルドルフにいたある日、父から連絡があり今度イギリスで展示をするから通訳として手伝って欲しいと言われて久々に父に会いました。また久々に父や職人の作った絞りの布を見て、初めて素直に、美しいな、と感じた。同時に父と過ごした数日で産地の状況も改めて知り、「あと15年したら