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REPORT_15 130年の歴史 「藍染筒描」 / 長田染工場

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■伝統の技 筒描き 神々が集う場所、出雲。出雲市街中心部を東西に流れる高瀬川沿いに筒描藍染の紺屋 長田染工場があります。 「筒描」とは円錐の渋紙でできた円錐形の筒の中に防染糊を入れ、筒先から少しずつ糊を押し出しながら布に文様を描く技法です。 江戸時代、綿花栽培の普及に伴い、木綿に良く染まる藍が徳島より全国にひろがり、各地の紺屋(こうや)で庶民の暮らしを彩る文様を描いた布が染められていました。 この高瀬川沿いにも明治時代、数多くの紺屋が立ち並び1点ずつ描かれる筒描きは祈りの形として、筒描による布団や夜着、風呂敷などが制作され、婚礼や出産、祭礼の際に贈られる品として用いられていました。 現在、この希少な筒描藍染技法による紺屋は全国で2件のみ。1880年創業の長田染工場は4代目の長田茂伸さんと5代目の長田匡央さんが父子で営まれ、その希少な技術は「島根県指定文化財」、「島根県ふるさと伝統工芸品」に指定されています。 筒描きの糊が描き出すゆるやかなまろみと大胆な造形。伸びやかな線のタッチを左右する「防染糊」。その時の気候や湿度によって、もち粉、石灰、塩を丁寧に練り合わせ、調整しているそうです。 糊で描かれた白い線を際立たせる「藍」は兵庫県播州産のもの。 ■制作工程 藍に浸けるため両面から糊を置く。糊の乾燥具合表と裏に差異が生じるため、素早い作業が必要となる。 藍と糊の具合を感じながら会話をするように布を静かに藍につける・・。 藍の甕から出した布は空気に触れながら、少しずつ美しい青に変化していく・・。 ポタポタと藍の液が滴る布の下から布にしっかりとくいついた糊が力強く、そして優しい絵柄が見え隠れする・・。 息をのむような一連の工程は神聖な儀式のように感じました。 筒描藍染に描かれる吉祥紋様は日本に遣唐使が廃止されたことで独自性が生まれ、当時、繁栄、長寿、縁起が重要だった事で伊勢から意匠が伝わり全国に広がったと教えていただきました。 歴史ある島根筒描藍染の文様。意匠に込められた先人たちの精神や心。その技術と世界観を引き継ぎながらも自分にしか出せない表現を大切にする長田さん。既存の枠を超えた革新的な個性が伝統をより強靭にするのだと感じました。大手ホテル、ファッションデザイナーとのコラボレーションやオリジナルデザイン作品に積極的に取り組み、筒描藍染の可能性を広げて行きたいとのこと。

REPORT_14 伝統文化からポップカルチャーへ /高田織物株式会社

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岡山県倉敷市は多くの繊維製品を製造しています。国産ジーンズ発祥の地を代表するデニム製品や県内で8割ほどのシェアを持つ学生服のウェアをはじめ、バッグなどの生地である倉敷帆布は前回取材し、j布レポートでも取り上げました。 この度は学生服同様、多くの全国シェアを持つ畳縁織物を製造している高田織物株式会社のものづくりを紹介いたします。卒業生ゼミ生が高田織物に勤務していたこともあり、工場に隣接するショップ「FLAT」に何度か訪問していました。 柄の豊富さや畳縁としての用途以外のものづくりに興味を持ち、高田織物株式会社代表取締役高田尚志様にお会いし、先のものづくりのお話をお聞きするため、取材させていただきました。 畳縁織物は約8cmの幅で、岡山県内で製造される真田紐と同じく細幅タイプの織物になります。ルーツも重なる部分があり、高田織物は1890年頃創業の真田紐製造から段階的に畳縁織物製造に変わります。 2012年に初めて工場で織機や畳縁織物がぐるぐると巻かれた状態を見た時、非常に新鮮な印象だったことを思い出します。現在、畳縁織物製造メーカーは倉敷市唐琴地域に15社程度あり、最盛期よりは社数は減少しましたが、全国8割程度のシェアがあり、まだまだ伝統の和を支えています。 高田尚志様に会社の特色を伺ったところ、「多品種」、「小ロット」、「短納期」とのことでした。品種は約1,000種あり、先のFLATでそれらの生地を見ることができます。 FLATは畳縁織物を多くの人に知ってもらうために2014年にオープンしています。「畳の縁に使われる畳縁織物を選んで購入する機会はそもそも少なく、その機会がなければあまり関わることのない織物である。このようなことを意識し、接する機会を増やすため、多品種の生地を紹介できるショップFLATにつながった」と高田様はお話されました。 また、クリエイターとコラボした商品展開や、一般の方が畳縁織物を活用したものづくりができるよう、導くためのハンドメイドブック作りも積極的に行われています。 そして、クリーマーのクリエイターとのコラボやバッグ作りのコンペなど、畳縁織物生地からの自由な発想を導く素地を提供される企画が多くあることを知りました。高田様曰く、メーカーは生地を作る、そこからのデザインやものづくりは幅広く生み出されていくような環境作りを考えながら行動されるお話を聞

REPORT_13 萌蘖(ほうげつ)「百年続く服づくり」 / あまづつみ まなみ

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南あわじにUターン移住し、ショップをオープンして12年。生まれ育った淡路島でいつも見てきた海の色を洋服にして身に着けたいと活動する「あまづつみ まなみ」さんを訪ねました。 ◼︎古民家を改装したアトリエとショップ 南あわじは瓦の産地で、ショップへ向かう道中で瓦を使用したモニュメントをあちこちで見かけました。アトリエの屋根瓦はお寺のような丸い瓦が使用され立派な鬼瓦も施されていましたが、阪神淡路大震災の際もビクともしなかったそうです。そんな親戚の古民家と小屋を改装し、趣のあるアトリエ&ショップを2011年8月にオープンされました。 初めて私が訪れたのは約10年前、滋賀の友人を通して出会ったまなみさんに会いに行きました。素材にこだわったChar* by cheep-cheep ブランドを設立されていて、その後 滋賀の麻織物を使用していただくことにもなりました。 ◼︎あまづつみ まなみさん 略歴 神戸ファッション専門学校を卒業後、上京し45R、東京イトキン シビラ、ホコモモラ  などアパレル数社に勤務されていました。その後出産を機に退職し、自宅で外注のパターンナーの仕事を始めて Char* by cheep-cheepを設立、 2007年にUターン移住されました。 ◼︎ノラふく ・淡路島の刺し子「ドンザ」との出会い。 ドンザは藍で染めた木綿布を数枚重ね、防寒や補強のために刺し子を施した漁師着のこと。震災後の倒壊家屋から発見されたそうです。 まなみさんは、ここで初めて淡路島に藍染めがある事を知り衝撃を受け、淡路島に帰って来た意味がここにあるのではないかと感じたと言います。 ・滋賀の自然に寄り添いながら生活することを愉しむ集まり「ノラノコ」との出会い そんなタイミングで、農作業に従事するにあたって機能的でカッコ良い野良着を作って欲しいとの依頼があり、「ノラふく」をつくることになります。 どこで藍染めをするかを考えた結果、ノラノコの活動拠点である滋賀の正藍染紺屋・紺喜染織さんに通うようになります。 最初に藍染め体験で訪れてから10年。今ではすべての藍がめを使わせてもらえるまでの信頼関係を築かれています。まなみさんの月に2回の藍染め通いは、紺喜さんにとっても次代へ継ぐ道筋になっている事と思います。 ◼︎意味がある服 「ノラふく」を作るようになって10年が経ち、最近染め直しの依頼が増え

REPORT_12 横濱スカーフ/株式会社 丸加 

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■ 高い捺染技術と丁寧な手仕事による上質なスカーフ 今回は横浜でシルクのスカーフを中心としたオリジナルブランドのデザイン企画・製造から卸売、また受託製造でものづくりをされている株式会社丸加さんをご紹介します。 1952年の創業以来、手捺染によるこだわりと、精度の高いプリント技術により極めて上質なスカーフを製造されています。その技術の高さはプリントで名高いイタリア・コモとも肩を並べるほどです。  手捺染にこだわる理由は主にペネトレーションとスクエアネスにあります。首に巻くと裏も表も見えるスカーフは、裏が白いと価値が落ちるため、裏まで色を浸透させる必要がある。加えて、タテ・ヨコの地の目を正確に揃える必要がある。これらを考慮すると、オートスクリーンやインクジェットプリントより手捺染のほうがはるかに優位性が高いからです。 ■ スカーフができるまでの工程 生産は分業で行われ、栃木県足利市の捺染工場にて捺染・蒸しの工程が行われています。 〔デザイン〕  様々な資料をもとにデザイン(図案作成)される。デザインによっては1〜2年をかけて丁寧に打ち合わせを重ね、デザインを練る。 〔製版〕  使用する色の数だけ捺染用の型をそれぞれ制作する。捺染用の型は型枠に薄手の紗を張ったもの。現在のように合成繊維が使用される前はシルクを使用しており、その名残からシルクスクリーンとも呼ばれている。スクリーンを使った捺染は1927年頃に世界的に広がったと考えられている。日本にも同じ時期に伝わる。 〔調色(色合わせ)〕  ミリグラム単位で計測した染料と糊を混ぜ、色糊を作る。 〔地張り〕  捺染台に生地を張る作業。生地の方向を確認し台に対し水平垂直に張っていく。この作業がプリントや縫製、仕上がりを左右するため慎重に行われる。 〔手捺染〕  型とスケージと呼ばれる大きなヘラを使用。向かい合って配置されている約25mの捺染台を往復し、色ごとに捺染していく。 〔蒸し〕  捺染の後に熱を加える事で染料を生地に固着する。 〔水洗〕  糊を落とし、色落ち等を防ぐために余分な染料を落とす。 〔縫製〕  職人さんが手でロール状に巻き込みながら均一に縫っていく「手巻き」と呼ばれる方法で、一針一針丁寧に縁を縫って仕上げる。手間がかかる作業であるが、ソフトでふっくらとした縁に仕上がる。   ■ ファクトリーブランド 丸加さんでは

REPORT_11 種から育てる布づくり/染∙織工房「初」作家 前田初代

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  染∙織工房「初」作家 前田初代 プロフィール 嵯峨美術短期大学卒業後、  川島テキスタイルスクールで 染織の基礎を学ぶ。  兵庫県立姫野生涯教育センターで  織の指導後、夫の転勤先パリ、 ロンドン、 ニューヨーク、 東京にて見聞を広げる。  帰国後2001年より実家、 兵庫県加古川にて 工房主宰。 まるでヨーロッパの郊外に訪れたかのようなご自宅の敷地内に、対照的な日本家屋の工房がある。敷地内にて藍、ハーブ、綿などを栽培し、身近な草花で染色・織のワークショップを開いている。また地元子供達へ染めによる自然学校の講師も務める。 2023年6月には「関⻄工芸文化協会」のフランスでの 展示会の出展も決定している。自然と寄り添いながら染めや織りを仲間と楽しむ前田さんの素敵なライフワークをレポート。 草木から色をもらって染める 自宅のテラスで染め物をしたり、綿をほぐす。庭先で生徒さん達と語らいながら、染めの準備。右上画像はミモザの花と葉で染めた布。 工房玄関の壁面には自作のシルクの藍染スカーフがグラデーションで展示され、⻘の敷物はお気に入りのアンティークとして展示会や旅先で購入。無地のラグは赤穂段通、帯のような布はろうけつ染で旅先のタイで購入。⻑尺の布は道しるべのように2階の工房へと続く。 階上では草木で染まった柔らかな色合いの糸玉が 織作業の順番を待つ。 糸玉自体が可愛らしいオブジェのようだ。 染め糸からの感動で織物レシピが生まれる 解放された見晴らしの良い景観。事前の予約は必要だが、生徒さん達に時間の制限はなく、工房へは自由な時間に織機に向かいながら作品作りが楽しめる。 解放された見晴らしの良い景観。事前の予約は必要だが、生徒さん達に時間の制限はなく、工房へは自由な時間に織機に向かいながら作品作りが楽しめる。タピストリーやショールなど作品づくりは様々。同じ糸でも精錬前と後で風合いが変わる。精錬後の柔らかな風合いはショールなどの衣類へ 精錬前のしっかりとした糸はインテリア素材として使用する。季節の草木の染め糸から、毎回わくわくした気分で織物レシピを考える。 糸に力があって、触れるとやさしい織物 普段は糸紡ぎ機で綿から撚り糸を作るが今回は毛糸用のスピンドルでざっくりとした不定形の力強い撚り糸を、綿本来の色を生かしながら織る。今、前田さんがもっとも意欲的に取り組む作品。見た目ざ

REPORT_10 端材がつなぐ-産官学連携丹後ちりめんSDGSアップサイクルプロジェクト

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創業300年の歴史を持つ丹後ちりめん。女子美術大学 短期大学部 造形学科 デザインコース テキスタイルでは平成23年より京丹後市の協力をいただきながら事業者と製品開発、共同事業、現地視察、オンライン特別講義など様々な取組みを行ってきました。それぞれ特徴ある生地を生産されておりその生地や工程にふれる機会をいただけることは学生にとって大変学びの多いプロジェクトとなっています。 昨年度からはSDGs 未来都市計画に基づく事業のひとつとして、織物の生産過程で発生する端材や不良在庫等を活用し、繊維製品の開発及び市場開拓に向けた市内織物事業者と連携した、アート作品 やバッグなどを制作し、第94回ギフトショーや2022 9月NEW  ENERGY、丹後織物工業組合(特設会場)で開催される「第73回丹後織物求評会」で発表し、好評を得ることができました。 今回は数多くある京丹後市の機屋さんの中から端材プロジェクトに素材協力をいただいた事業者様の紹介と産官学連携の取組みについていただいたご意見、ご感想を抜粋して掲載いたします。 ■産官学連携の取組みについての感想を記載します。 織元金重(網野町網野)  https://tirimen.com/ 昭和28年創業。歴史ある建物に置かれた十数台の機がガチャン、ガチャンとリズミカルな音を奏でます。丹後では50年の間に撚糸、組織の組み合わせた多様なちりめんが生み出されました。その発展に貢献されてきた織元金重。紋織を活用した写真そのものを織物にする「写真織り」の卓越した技術による生地は、絹糸が複雑に絡まり、妖艶な美しさを醸し出しています。 ■染色されたちりめん生地に抜染、ポップなシルクスクリーンプリントを施すなど端材だからこそできる挑戦を見て、縫製が難しいちりめん素材を逆手にとった学生視点でのアイデアはとても興味深く感じました。 谷勝織物工場(網野町掛津)  https://tanikatsu762.wixsite.com/tanikatsu762 大正八年八月に綿織物製造工場として創業。現在四代目の谷口能啓さんがお父様の後を継ぎ丹後でも数少なく貴重になった「水撚りの八丁撚糸」を緯糸(よこいと)に使い伝統的な縮緬地である一越ちりめん・古代ちりめん(二越)・三越ちりめん等を製造しています。谷口さんはDJ活動などもされ、クラウドファンティングや新しい活

REPORT_09 手の温もりを感じるエンブロイダリーレース 神奈川レース株式会社

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今回は神奈川県愛甲郡愛川町にある神奈川レース株式会社を紹介します。  すでに多くのメディアで取り上げられているのでご存知の方も多いかと思います。私が勤務する相模女子大学生活デザイン学科のテキスタイルの授業でも今年度からデジタル刺繍機を導入したこともあり、工場での実際の生産現場を見学させていただきました。  車で向かう道中、相模川支流の中津川では鮎釣りをする人の姿もあり、美しい渓谷の景色が目を癒してくれます。都心からもそう遠くなく、生活するにもとてもいい環境です。今回は佐藤敏博さんに工場内をご案内いただきお話を伺いました。  神奈川レースは昭和24年に小島繊維株式会社として創業。ゴム紐など細幅の織物を生産していました。昭和35年に厚木にてレースの生産を始めたのを機に現在の神奈川レースに社名を変更、昭和38年に工場を集約するかたちで現在の愛川町半原に移転しました。  半原はその地形や地理的な条件にも恵まれて、日本を代表する撚糸の産地として発展してきた「糸の町」です。移転した当時は近隣にもレースを生産する企業は数件あったそうですが、現在神奈川県内ではここ神奈川レース1社を残すのみとなりました。 ●制作工程  まず、現物サイズのデザイン画を6倍に拡大しパンチングマシーンに設置します。デザイン画をもとに一針一針の動きをデジタイザーでプログラミングしていきます。作成したデータを見本刺繍機に入力してサンプルを制作します。クライアントとの打ち合わせにより検討、修正を繰り返し本生産に移ります。幅約14mのエンブロイダリーレース機に布地を張り、糸をセットして刺繍していきます。14mの生地に同時に刺繍されていく様は見応えがあります。最新の機械の3分の1の速度で針を進めることにより、やわらかな立体感のある刺繍に仕上がります。刺繍が施された布地は検反され、糸のほつれや縫い残しはミシンを使った手作業で補修されます。その後、不要な糸を取り除くシャーリングをして仕上げます。 約14mのエンブロイダリーレース機   神奈川レース株式会社HPより 見本刺繍機  神奈川レース株式会社HPより 検品、補修 ●手の形跡を残す  デザインを刺繍として布に施す際に、針を運ぶ順番やその幅、図形などの動きをデータ化する必要があります。この工程が刺繍の仕上がりを大きく左右します。30年前のPC、ソフトが今も現役で活躍